2010年02月21日

輪島講

鳥取に一ヶ月近く滞在する
というのは 前にも書きました。

祖父 政之丞が開拓した場所が 鳥取県 因幡地方
今でも お客様が五百人近くいらっしゃいます。

「たのもし」とか「たのもし講」とか聞いたことがあるでしょうか
これは 相互扶助の一つのやり方です。
何人かで集まって お金を出し合い
一人の人を助ける
今月の助けられる人が Aさんなら
来月はBさん 次はCさん

分かりにくいので 具体的にしてみましょう

3人で(普通は10人ぐらいですが 単純化するために3人にしてみます)講を始めます
2月に始めるとして 3人でそれぞれが1万円ずつ出します
この3万円を 3人(Aさん、Bさん、Cさん)の誰がもらうかを決めます
普通は 先にAさんがもらうとすると
他の二人に 千円ずつ払う
というようなやり方をします

しかし、AさんもBさんもこのお金が 今欲しいとなると
競りになります

Aさんは千円、Bさんは2千円 と競り札に書いて
箱に入れます Cさんは今は必要ないと思って 白票を入れます

この競り札を開票し 金額の多い人が
その金をもらうことになります

Bさんは 3万円もらうために 2千円ずつ二人に払いますから
手取りは 2万6千円ということになります。(自分の出した1万円も含みます)

3月にも同じように 講をしますが 
Bさんは 1万円払うだけです
AさんとCさんが競ります(1万円はそれぞれ出します)
ここで Aさんが落札すると

翌月4月は AさんBさんには権利がありませんから
Cさんは 3万円まるまるもらえる
2月と3月には 利息みたいな数千円もらっていますから
2〜4月トータルでみると 少し得していることになります。

人数を増やすと 10人なら 月々1万円を出すことで
10万円が使えることになります。

江戸時代 伊勢神宮に参内することが人々の大きな楽しみになったとき
何人かで集まって 一人の人に旅費を工面してやる
という目的で始まったと言われています。

これを「お伊勢講」と言います。
このように 目的に合わせて 
相互扶助の目的で金を出し合うことを「講」と言います。

最初に書いた 「たのもし講」は「頼む講」ではないでしょうか
「たのもし講」は 特定の目的で集まるのではなく
まとまったお金を手軽に得ることが目的です。
他の人に 頼んで お金を作る これが始まりでしょう。

さて
私が行く 鳥取 因幡地方にも 「講」の習慣があったのでしょうか
祖父が 明治時代に始めたのは
「輪島講」だったのです。

父が行っていた 戦後 昭和30年から50年ころ
鳥取に「輪島講」を50近く持っていました。

今では 15の講を組織しています。

輪島塗を売るほうの私どもにしてみると
講で確実に集金でき 輪島塗を買う層を広げることが出来る

買うほうにしてみると
月々の 言わば月賦のような感覚で輪島塗を買うことが出来る

良いこと尽くめのようですが
問題は 何と言ってもお世話をする人が大変です

講の世話は 
集金がまず大変なこと
集まるための段取りをしなくてはならないこと
など 世話人さんといわれる方が居て
初めて成り立ちます。

これも先祖のおかげです
信用が無いと 絶対に講を組織していただけません
100年以上培われてきた信用
これの上に 今の輪島講は成り立っているのです。

これは塩安漆器工房に限ったことではありません
輪島塗は 堅牢優美
だからこそ買っていただける
これがなんと言っても基本です

輪島で漆器に携わっている人たちは この先祖が作ってくれた
信用と言う 何者にも変えがたい財産を
守るとともに
次の世代に より強い信用を渡していく義務があります。

我々は 永遠の中継ぎなのだ と中室先輩が教えて下さいました。
次の世代へ 信用を繋いでいきます。

残念ながら 現在 輪島講をやっているのは
塩安だけになりました
それも因幡地方だけです。

どこかで 大変だけど輪島講を広げられたら ありがたいと思いますが 
何しろ お客様の協力が必要
簡単ではありませんが
頑張ってみます。

鳥取に一ヶ月も行って何してる?
とよく聞かれます
これを読んでもらったら 少しはわかってもらえるんですがね

輪島講を開催して 注文をもらう
前年の注文 納品したものの集金をする
これで一ヶ月なんですよ!!
posted by やすべい at 15:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 塩安の歴史など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月10日

鳥取に毎年一ヶ月間ほど滞在します

塩安政之蒸(まさのじょう)は、私の祖父に当たります。

いつも下唇を突き出すようにしていて なんとなく怖い感じの ”おじじ”でした。 私が小学生の低学年のときに亡くなりました。

初代 忠左衛門と、二代目同じく忠左衛門は 輪島塗の職人でしたが この三代目の政之蒸が 商売を始めました。

輪島塗を売る先が 鳥取県なのです。

明治時代に、これから鳥取に鉄道が敷かれ 電気も来るようになる。

おそらく、まだ輪島塗のテリトリーとしては 
他の塗師屋さんが手をつけていなかったのだろうと思います。
そこで 忠左衛門が着目し 売り込みに行ったらしいのです。

それから鳥取県の東部 因幡地区が 塩安の”場所”(輪島では塗師屋の販売先の地域をこう呼びます)になったのです。

そして私の父 誠治が拡大し いま私が 昔と変わらず 鳥取に長期滞在して 商売をやらせてもらっています。

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これは父が戦後ずっと使っていた かばんです

ぼろぼろですが 81歳で亡くなる数年前まで、鳥取に ”場所行き”の時には必ず持って行きました。
青のかばんには 主に資料や写真 隣の茶色の小さなバッグは 集金したお金を入れるのに使っていました。

私も昭和54年から 父と共に鳥取に行くようになり 今も3月は鳥取に一ヶ月滞在します。

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〔講〕と言われる方法で 商売をしています。
これについては いずれ別の機会に詳しく書くつもりです。

昭和51年に始まった 智頭町(鳥取県東部岡山県寄りの町)の女性ばかりの 講の講帳がこれです。

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これと同じ講帳を今でも 私は使っています!!
古い古い商売の方法 出来ればこれも残して行きたいと思っています。

8年ほど前から 滞在する宿を変えました。郡家町の旅館から マンスリーレオパレスにしました。
お客さんのところで予定外に遅くなったり、風呂を沸かして待っていてくれるおばさんに 申し訳ないからです。

宿の形態は変わり 買っていただく輪島塗も 祖父や父の代とは様変わりしています。

しかし この商売の精神のようなもの 講は今年帰ってくる息子にも残して欲しいと思っています。
posted by やすべい at 13:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 塩安の歴史など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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